あるメイクアップアーチストの事例

あるメイクアップアーチストの事例

突然ですが、私の経験した話を紹介いたします。

10年前の話になりますが、あるメイクアップアーティストの方が、プロのメイクアップアーチストを目指す方向けの少人数のスクールを行いたいという話がありました。
私がある会社に入社した時には、そのメイクアップアーチストのメイクアップスクールのWebサイトが完成していて、それをどう訴求しようかという話になっていました(とりあえず作って、さてどうしようかというのもおかしいのですが…)。
その件がその後どうなったのかまでは知らないのですが、起業したいとおっしゃる方々と日々接していて、その件を思い出したので例として紹介いたします。

さて、プロのメイクアップアーチストになりたい人っていうのが、どれだけいらっしゃるのでしょうか。
今後増えるのでしょうか、それとも数は横ばいでしょうか、減る見込みでしょうか。
事業としてやっていけるだけの市場がなければ、そもそも事業が成り立ちません。
増えるなら市場として有望かもしれませんが、減るなら魅力のない市場になるかもしれません。

プロのメイクアップアーチストになりたい人っていうのは、どういった属性、特徴なのでしょうか。
それらが分かっていなければ、ユーザーのニーズも掴みにくいでしょうから、プロダクトアウトになってしまいます。
プロダクトアウトが駄目だということではありませんが、ユーザーのニーズに合っていなければ人は集まりません。
また、相手のことが分からなくては、効果的な訴求ができません。

競合はいるのか、いるとしたらどういった特徴なのでしょうか。
自分にとって魅力のある市場なら、当然競合にとっても魅力のある市場であってもおかしくありません。
競合の規模はどうなのか?競合はどんなことをやっているのか?競争を回避するためには?競争に勝つには?
それらは、自身の戦略や行動に影響します。

件のメイクアップアーティストの方は男性だったのですが、自身の技術にかなりの自信を持っているとのことでした。
周知さえできれば、その技術を身につけるために人が集まると考えていらっしゃったようです。
男性からは習いたくないと思っていたら、習いに来る人はいませんよね。

自身がスキルを持っていたとしても、市場がなければ売れません。
市場があっても、ニーズから外れると見向いてもられません。
ニーズと合致していても、競争環境が激しくて収益が上がらないかもしれません。

自分の職業人としてのスキルに自信があって起業されようとしている方は、特にご注意ください。

群盲象を評す

群盲象を評す

「群盲象を評す」という言葉があります。
元々はインド発祥の寓話だそうですが、意味は以下の通りです。

《多くの盲人が象をなでて、自分の手に触れた部分だけで象について意見を言う意から》凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないというたとえ。群盲象を撫 (な) ず。群盲象を模す。

デジタル大辞泉より引用

さて、企業においてはそれぞれの従業員はそれぞれの立場でものを見ます。
それぞれの立場でしか見れないという方が、表現として正しいかもしれません。
それは能力が足りていないというよりも、置かれた立場が違うために、見えている範囲が違うことに起因します。

従業員の方からの提言や報告、情報などを全社的な視点を持って判断するのは経営者様の仕事です。
経営者様自身は、その判断理由や意図を言わなくても分かってくれているだろうと考えられているかもしれませんが、それぞれの従業員は全体を見ることができないので、経営者様の判断が的確かどうかの判断ができません。

付け加えるならば、自分が提言、あるいは報告したことがどれだけ受け入れられたか、という点でしか判断できません。
そのため、せっかく提言しても受け入れてもらえない、せっかく報告しても中途半端にしか聞き入れてもらえないと従業員の方がかえって不満に感じることもあり得ます。

もちろん従業員の言うことをすべて受け入れることはできないでしょう。
ですから、提言、情報の一部のみを採用するに当たっての理由をきちんと伝える必要があると思います。
ただし、理由だけだと言い訳してやらない、意見しても聞き入れない社長だなどの不満を生んだり、あらぬ邪推をされたりする可能性もありますので、会社全体の情報を提供しつつ、こういう提言をしてほしい、こういう情報はないかと次の要求をしてみてはいかがでしょうか。
こうすることで、今後の従業員のモチベーション向上にもつながらないでしょうか。

迷惑な戦力

迷惑な戦力

従業員の評価はセンシティブであり、経営者様の悩みの種ではないでしょうか。
公平性や透明性は担保する必要がありますが、やっている仕事も異なると同じ条件で評価できません。
与えられたタスクをこなすことに対する評価は判断しやすいかもしれませんが、+αの仕事に対しては評価は難しいでしょう。
だからといって評価がおざなりだと、従業員は+αの仕事に対するモチベーションが下がり、決められたルーチンしかしなくなるでしょう。

自分に与えられたタスクはしっかりとこなしているのですが、

  • 仕事中にSkype等で会社や他の従業員、クライアントの悪口や愚痴などを他の従業員とやりとりしている。
  • 昼休みで外出した際に時間通りに帰ってこないというように、仕事以外の点でルーズ。
  • 部下の失敗などに対して、口頭で本人に注意すれば良いものの、従業員全員が見るメールなどで見せしめ的にさらし者にする。

等々、他の従業員に悪影響を及ぼすケースは、言うなれば-αで、+αよりも評価は難しいかもしれません。

何せ本人は与えられた仕事をちゃんとしていると思っています。
実際に仕事そのものはちゃんとするために自社にとっても戦力であるかもしれません。
ですから、態度は改まらないし、時間の経過とともに態度はもっとひどくなる可能性があります。

評価基準が「与えたタスクをどの程度こなしている」という尺度のみで、与えたタスクをこなしているから管理職ができるだろう、もっと上で使えるだろう、と考えてマネジメントのポジションに就けると与えられたタスクは100点満点でこなす、職場を乱す天才になってしまう可能性があります。
パワハラなどの問題を起こす前に、話し合って不満を聞くなり(要望を聞くにも限度がありますが)、叱るなり、諭すなりする必要があります。
貴社は大丈夫でしょうか?

ルートを広げる

ルートを広げる

最近絶賛入信キャンペーン中なのか、なかもず駅前や新金岡駅前でエホバの証人を見かけます。
私個人はエホバの証人についての知識もありませんし、実はさっき家に来たのですが、読まれもしない冊子を配ってる得体の知れない人たちという認識以上のものを持っていません。
聞くところによると、エホバの証人はキリスト教の中でも異端扱いで、エホバの証人の子供は他(エホバの証人以外)の子供と遊んではいけないとか、ヨーロッパではセクト(反社会的な閉鎖的団体)扱いされているとか。

さて、同じメンバーだけの交友というのは、結局それが楽だからだと思います。
同質性がある程度担保されているので、違う属性を持った新たな人がと交わることによって起こり得る摩擦を感じずに済む…要するに馬が合わないということも少ないということでしょう。
要するに排他することで、(良いことも悪いことも含めて)新たな刺激を受けないようにしているということでしょう。

同じレベルで語るのは妥当ではないかもしれませんが、経営者様も同業者以外の交友を図るのが嫌い、あるいは苦手な方っていらっしゃいませんか?
あくまでも個人的な感覚でしかないのですが、商工会議所や中小企業家同友会などに入って積極的に他の経営者様と交友を図るタイプの経営者様の会社は、そうでない経営者様の経営する会社と比較して業績が良いように思います。

多くの色々な属性の方と交友を図ることで、入ってくる情報の量や種類も増えますし、逆に自分が発信した情報の伝達の範囲も広がります。
まだ出会っていないお客様と出会うためには、そのお客様と繋がるためのルートが必要で、そのルートは多ければ多いほど繋がる確率も高まります。

結果を変えるためにはプロセスを変える必要があります。
つまり、停滞している状況を打破するためには、自らの動きを変えることが必要です。

今まで行ったことのないところに行って、違う属性の方との繋がりを作るというのは、さほどリソースを必要としませんし、比較的簡単にできるプロセスの変更だと思うのですがいかがでしょうか。

起業家と学び

起業家と学び

Googleで“起業セミナー”で検索してみるとセミナーや起業したい人向けの情報がヒットします。
有用なもの、役に立たないもの色々あるのでしょうが、起業した後も勉強しているでしょうか?という話です。

本田技研工業の創業者である本田宗一郎は東海精機重工業株式会社(現在の東海精機株式会社)を作った後、浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)機械科の聴講生となり、金属工学の研究を3年間行いました。

ダイエーを創業した中内功は実家(サカエ薬局)が新たに開店した友愛薬局で働きながら、復員後旧制神戸経済大学(現在の神戸大学)に戦後設置された第二学部(夜間)に通っていました(商売が忙しくなって中退しましたが)。

LIXILグループの元となった日本建具工業株式会社設立者の潮田健次郎は日経新聞の私の履歴書(私の履歴書 復刻版 潮田健次郎 第15回 軌道に乗る 先にらみセミナー通い トップは独り「勝つチャンス」)でセミナー通いをしたことを語っています。

起業する前に勉強することは重要です。
しかし、起業した後の勉強は単なる知識では終わりません。
実際の経営を鑑みながらですから、より吸収できるし、実際の事業に応用しやすく、より成果が出しやすいと思いますが、いかがでしょうか。

古典に学ぶ(易経)

古典に学ぶ(易経)

易経と聞くと易者さんが筮竹を使ってムニャムニャ…という占いをイメージされる方も多いでしょうか。
実際は儒学で尊重する五つの書物である五経(易経・詩経・書経・春秋・礼記)の内の一つで、占いだけでなく知恵、哲学、倫理も説いています。
そんな易経から、いくつかビジネスにも役立ちそうな言葉をピックアップしてみました。

険を見て能く止まるは知なるかな

危険を察知したら、踏みとどまることができるのが知者である、といった意味です。
外部環境が自身にとって逆風であれば無理に進まずに耐え凌ぎ、常に変化する情勢の中で無理をせず次の機会を待つ。
言葉にしてしまうと当たり前のことなのですが、外部環境が順風なのか逆風なのか、外部環境を自身に都合よく解釈していないか、もしくは外部環境に対応できる内部環境なのか、目の前の仕事以外に気を配っていないと、そういった当たり前のことも察知するのが難しくなりかねないのではないでしょうか。

窮ずれば即ち変じ、変ずれば即ち通じ、通ずれば即ち久し

困窮すると現状を打破できるように変化をし、変化することができれば新たな道が開け、またそれらが繰り返されるというニュアンスでしょうか。
外部環境は自分にとって都合が良いように変わるとは限りませんので、外部環境の変化に適応できるように自分が変わっていく必要があります。
「自分が変わる」と言葉で書けば簡単ですが、実際は今までの慣れたやり方などを放棄して自分なりのプロセスを再構築するという大変な作業です。
そして、変わったことで現状を打破したら、変わったことによる新しい壁に突き当たることになるわけです。
だから、常に変わり続けないといけないということです。

前言往行を識して以ってその徳を蓄う

前言往行とは過去の人の言行のことであり、それらを身につけることが人徳を身につける方法だということです。
鉄血宰相のあだ名で有名なオットー・フォン・ビスマルクも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言っていたように自分の経験していない過去の歴史から学ぶ重要性を説いています。
アンテナを立てて、常に新しい情報に触れることは大事です。
しかし、何百年も残っている言葉、何百年も語り継がれていることからは、そこからしか得られない大きなものがあるということでしょう。

古典に学ぶ(菜根譚)

古典に学ぶ(漢書)

菜根譚は中国明代の洪自誠という人によって書かれた書物で、中国よりもむしろ日本で読まれているとのことです。
いくつかビジネスにも役立ちそうな言葉をピックアップしてみました。

変に処しては、まさに百忍を堅くして以って成るを図るべし

変とは難関という意味で、そういった場面では耐え忍び初志を貫徹しろという意味になります。
確かに中国人より日本人が好みそうですが、耐え忍ぶというのはじっとして何もしないのではなくて、難関の打開策を考え続ける必要はあるのでしょう。
ですから、苦境の際に従業員の方に対してただ我慢を強いるのではなく、外部環境は変えられないのだから、それに対応するような指示や耐えた後のビジョンの提示と励まし等は必要だと考えられます。

徳は事業の基なり

マイケル・ポーターの提唱しているCSV経営は、社会的課題を解決しながら利益を上げましょうというものですが、日本では江戸時代から近江商人の三方よしという概念がありました(三方よしという言葉そのものは戦後に研究者がつけたもの)。
社会的に意義のない事業よりも、意義のあるものの方が市場のニーズがあるのは言うまでもないでしょう。
さらに社会的に意義のない事業よりも意義のある事業の方が上記のように難関に耐え忍ぶことになっても、耐え忍ぶモチベーションは湧くのではないでしょうか。

小恵を私して大体を傷るなかれ

私利を優先して全体の利益のことを忘れてはならないということです。
経営に置き換えると、管理職が個人の利益を優先して、あるいは社内に派閥を作って自派閥の利益ばかりを考えて、企業全体の利益を損ねることがないようにというニュアンスでしょうか。

  

米百俵

米百俵

戊辰戦争後の長岡藩大参事を務めた小林虎三郎をご存知でしょうか?
戊辰戦争に敗れ困窮していた長岡藩に、支藩である三根山藩から見舞いとして米百俵が送られました。
大参事の小林虎三郎はこの米を藩士らに分配せず、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と教育第一主義を唱えて、米の売却によって得た売上を国漢学校設立資金に充てました。

さて、企業の経営資源を具体手にヒト、モノ、金、情報というように、人は経営において重要なファクターであることには違いないでしょう。
では、その人の教育についてどれだけの投資をしているでしょうか?
言い換えると、一般の従業員、管理職、パート従業員に対して教育・成長の機会を与えているでしょうか?

入社したてならまだしも、ある程度勤務して慣れてくると、新しいことを覚えたり、できるようにならなくても仕事をこなせるようになってきます。
そして、現在のスキルや能力で仕事ができるとなると成長が停滞するのも当然です。
機会があれば従業員に、1年前と比べてどこがどれだけ成長したか聞いてみれば良いと思います。
「成長しています」と答えられる人がどれだけいるでしょうか。

ですが、これは従業員に責任があるのではありません。
なぜなら、従業員が自発的にスキルアップに努めるメリットを与えて、の自己啓発意識を高めるような仕組みを作るのは経営者側にしかできないからです。

製造業だと資格もたくさんあり、資格取得を通じた従業員教育を行っている企業も珍しくはないかもしれません。
しかし、営業職など業務に関する資格がない、あってもあまり意味を持たない職種なら、特に何もしない、あるいは従業員任せになっていませんか?

中期~長期の経営計画や展望を従業員に示さなければ、今後どういったこと、どの程度のことを求められるのかが分からないので、従業員だってスキルアップしようとも、当を得た行動ができません。
また、資格取得やスキルアップのためには大なり小なり自分のプライベートな時間を使用するため、業務にプラスになる資格などを提示して、人事考課に反映するなどの取得後のメリットを提示しないとモチベーションも上がらないでしょう。

従業員教育など不要だという経営者の方はいらっしゃらないと思います。
ですが、従業員まかせではなく能動的に教育のため機会を作ったり、資格取得費用を補助したりしている経営者の方がどれだけいらっしゃるかというと怪しいのが現実だと思われます。
さて、どれだけ人を育てているでしょうか。

基準

基準

「必」「女」「心」…等々、人によって違いはあるでしょうが、よく使う漢字で、画数が少ない割に上手く書けない、バランスが悪いものってありませんか?

例えば上に挙げたものでいうと、斜めの線と点で構成されています。
「女」という漢字は横棒があるのですが、書き順で言うと一番最後です。
つまり、基準にする縦棒か横棒がありません(加えて、漢字の書き順って基本的に左上から右下に向かって書きますが、それにも該当しません)。
「必」「女」「心」以外にも、上記した条件に合致する漢字は書きにくい漢字なのかなと思います。

さて、従業員に対しての評価の基準が明確に設定されているでしょうか?
定量的であれ、定性的なものであれ、評価基準を明確に設定していなければ、同じ働きに対しても評価が揺れてしまいかねません。
ですから、経営目標達成のためには評価制度は不可欠です。

もちろん、基準があっても従業員の納得性が低いと意味がありません。
しかし、何をどう頑張れば評価されるのかをあいまいにしておいて、従業員に頑張れと言ったところで、従業員も何を頑張れば良いのか分かりません。
また、その状態では頑張ろうというモチベーションも上がりにくいでしょう。

従業員の採用が難しい中小企業こそ、従業員を大切にする意味でもしっかりした人事評価基準を設定すべきではないでしょうか。

死の家の記録

死の家の記録

死の家の記録はドストエフスキーが囚人として4年間過ごした体験を元に書かれたと言われています。
その中に以下のような一文があります。

水をある桶から他の桶へ移し、またそれをもとの桶に戻すとか、砂をつくとか、土の山をある場所から他の場所へ移し、またそれをもとへ戻すとかいう作業をさせたら、囚人はおそらく4~5日もしたら首をくくってしまう。
あるいは、たとえ死んでもこんな屈辱と苦しみから逃れた方がましだなどと考えて(以下略)

要するに無益で無意味なことを繰り返させられると精神的に追い詰められてしまうということです。
ドストエフスキーはもっとも残酷な刑罰とまで言っています。

さて、ここまでとは言いませんが、利益にならない、あるいは損益にしかならない受注をやっていませんか?
そういう業務を従業員の方にさせていませんか?

利益が出ていない認識が無かったというは問題外ですが、しがらみがあって断ることができないというのも大きな問題です。
しがらみのために金を払って従業員のモチベーションを下げているということになります。

無益な刑罰をやっていないか振り返ってみてはいかがでしょうか。

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